随分と・・・ご無沙汰しています [お知らせ]
昨年の4月頃よりの発熱は、今でも微熱と高熱を繰り返しながら続いています。
先日・・・あれから、6度目の退院をしました。
入院の度に色々と検査をするのですが、未だ原因が分からず、治療方法が見つかりません。
その為、自宅での安静でも身体が辛くなると、
1,2ヶ月の入院をして、より安静にせざるをえない状況です。
姫ちゃんは、2歳半になりました。
私の病状が安定しないので、今も乳児院でお世話になっています。
彼女の1週間・1ヶ月・1年は、日々が成長で、会う度に喜びと寂しさを感じます。
乳児院にお願いした当初は、這い這いだった姫ちゃんが、
今では、
走れるようになり・・・
うさぎさんの様にジャンプし・・・
お着替えも自分で出来るようになり・・・
お遊戯も見せてくれます。
こんな母親でも、「だいすき」と言ってくれます。
私の体調が少し良くて、協力者(てるパパや両親など)がいる時には、
1週間程度の外泊をして、いつでも引き取れるように準備をしています。
早く一緒に暮らせる日がくることを望むばかりです。
上の3人の「たからもの」さん達は、自分で選んだ道を、
行ったり来たりしながらも、少しずつ歩んでいます。
親離れしていくことに、ほっとするような・・・寂しいような・・・です。
入院中です・・・(鬱病かもしれないと思う方は特に読んで下さい) [お知らせ]
一昨日より外泊許可がおりたので帰ってきておりますが、
今日にはまた病院へもどります。
暫くの間、コメントなどへのお返事など、一切の応答が出来ません。
退院はまだ未定なので、いつになったら帰ってこられるかも不明です。
鬱病のストレスより38度前後の発熱が1ヶ月近く続き、身体が弱っているので、
緊急入院となりました。
姫ちゃんも、病院のすぐ隣にある乳児院に預かってもらっています。
面会に出かけるのは許可が出ているので、少し元気な時には、
姫ちゃんと遊んでパワーを貰っています。
(それ以上にパワーを使っている気もしますが・・・)
今は熱も下がり、静かに過ごしながら、これからゆっくりとリハビリの予定です。
落ち着いている時は心配ないのですが、感覚がとても過敏になっていて、
少しのことでも積み重なると自傷行為に及ぶ危険があるため、
不安な時には、看護師詰め所の隅で、何か作業をしながら過ごしたりします。
私の場合は、鬱病の症状が現れてから、治療を受けるまでに2年以上かかり、
その後も、転院先などで適切な治療がされなかった為に、「寛解」状態まで
改善されることがないまま、今日まで鬱病に苦しみ続けました。
鬱病の症状を自覚して10年以上になります。
私のように鬱病が遷延状態になると、自殺率も上がり
自傷行為も軽いものではなくなります。
事実、私の身体には、一生消えないであろう傷が多数あります。
鬱病かもしれない・・・と思われる方は、カウンセリングと薬を併用してくれる
病院を探して、すぐに通うようにして下さい。
早く治療すると必ず治ります。
一度、鬱病になると50%の確率で再発するそうですが、それでも、
また早期治療で「寛解」状態を過ごすことが出来ます。
お願いです・・・病院へ行って正しい診断を受け、早期治療をして下さい。
私のように苦しまないで下さい・・・。
春の風にのせて・・・(近況報告) [お知らせ]
我が家では、卒業&入学がここ数年毎年のことで、春の恒例行事になっています
最近は、卒業式にブラックフォーマルを着用する方が増えてきたように思います。
その方が、毎年新しいスーツを購入したい欲求から解放され、家計も助かっていいですね~!
前回の更新から、どのくらい経過したかということを、本人ですら忘れてしまうくらい休眠している
blogなのに、時々、訪問してくれたり、コメントを残してくれる方々に、心より感謝しています。
本当にありがとうございます!!
それでは、やや長めの近況報告に入ります。
無事に高校を卒業することが出来ました。
入学した当初は、いつ辞めたいと言い出すかドキドキの毎日でしたが・・・
とても充実した高校生活を過ごせたようで、卒業式後の笑顔は、充足感に満ち溢れた
最高の笑顔
「ああ、こういう顔が出来る様になるくらい、この子は頑張ってきたんだなあ」とその笑顔に感動し、
そのようになれるまでの苦労を思い、それが「卒業」という形で実を結んだことを誇りに思います。
中学卒業時に親の思いを込めて「新たなる高みへ」というタイトルの記事を書かせてもらいましたが、
次の「新たなる高み」へと着実に歩んでくれていることに、喜びを噛みしめています。
是非とも、夢を叶えて温かみのある看護士になってくれればと思っています。
まだ、進路については悩む部分があるらしく、色々と資料を取り寄せて考えている様です。
時々ですが、「ここってどう思う?」というように相談を持ちかけてくれます。
そういう相談をしてくれたり、進学の意思や夢を話してくれることは、数年前の次女の(いつも不安と
隣り合わせにいるような)状況からは想像も出来ないことであり、他人から見れば、あまりにも
些細なことなのかもしれませんが、私は、にこやかに夢を語る次女に幸せを与えてもらっています。
来年は、次女も夢への一歩を踏み出せますように・・・と願うばかりです。
元気過ぎて、
成績を
よしくんもお姉ちゃん達同様、笑顔で過ごせるようになり、今はそれだけでも十分かなと思います。
よしくんは、学校に通いたい為に自分から希望したのですが、少し遠方の祖父母の家から、
その地域の中学校へ通っています。いつも離れて暮らしているだけに、長期休暇ともなると、
姫ちゃんラブ
休暇明けに祖父母の元へ帰ると、さすがに寂しくなってしまうようで、私と姫ちゃんに
春休みは姫ちゃんとお花見に行き、GWには動物園に行くそうで、楽しくてたまらない様子です
意思表示がはっきりしているのはよいのですが、なかなかの頑固さん
音楽や音の出るおもちゃが大好きで、普通のおもちゃもベッドの柵にガガガ・・・と擦りつけたり、
他の物にぶつけて、音の出るおもちゃ
つかまり立ちまでしか出来ませんが、ハイハイはかなりの高速で、ちょっと振り返ったら
もう別の場所へダーーッ
上の3人のたからもの達もそうでしたが、ティッシュの箱が空っぽになるくらいまで、次々と
ティッシュを引っ張り出してはポイッと投げ捨て・・・それを繰り返すので、姫ちゃんの周りだけ、
春だというのに
(姫ちゃんが存分に満喫した後で、てるパパが内職のように一枚一枚折りたたんでいます。
私は、満足した姫ちゃんと次の遊びをしながら「頑張ってね
食欲旺盛!好奇心も旺盛!睡眠もたっぷりで、元気いっぱいに育ってくれています!
3人のたからもの達でおしまいだと思っていたのが、思いがけず姫ちゃんを授かることができ、
4人目はこれがまた一段と可愛く、すっかり親バカ夫婦となっております
それでも、てるパパは子ども達を差別することなく、どの子も同じ様に心配し、可愛がってくれます。
子ども達も大きくなってしまったので、さすがに「パパ」と呼ぶのは恥ずかしく抵抗がある様ですが、
実の父親と比較にならないくらい、てるパパを慕っている様子が日常の態度からよく分かります。
けれども、あまりにも悪化してしまった病気は、そう簡単には治ってくれそうにありません。
ある日は鬱状態と格闘し、ある日は挫折して寝込み・・・としながら何とか生きています。
たまに周りの人達を騒がせながら・・・
離婚してこんなに時間が経っても、今だに元夫に悩まされることがあります。過去がフラッシュバックして寒気がすることもあります。訳も分からず涙が止まらなくなることもあります。
でも今は、4人に増えた「たからもの」達の笑顔
困ったり疲れた時には、てるがフォローしてくれて、私を苦痛から守ってくれて・・・
私はきっと生きていけます(と思います・・・)。
ある日、ふと思い出した時に、訪れてみて下さい。
忘れた頃に、近況報告の更新くらいはしているかもしれません。
私は、「過去から現在へ」の続きを書けるくらい元気になるように、病気と仲良くする方法・妥協する方法を模索中です
無事に生まれました♪ [お知らせ]
ご報告が遅くなりました
3月14日に入籍。
5月20日に無事に女の子
が生まれました。
19日深夜から陣痛が始まったのですが、やや微弱陣痛だったことと、羊水の量が多くて赤ちゃんがなかなか下がってこれなくて、経産婦にしては長引きました。でも、人工的に破水してもらってからは20分程でポコンと生まれました。陣痛の長さに比べて、あまりにもあっさりと生まれたので拍子抜けしちゃいました。
立会い出産で、てるPapaさんは興奮気味!
生まれてすぐから親バカぶりを発揮し、産後すぐから24時間母子同室だったので、隣で眠る我が子をじーっと眺めては、口を開くと「可愛い~
」の繰り返しでした。
2ヶ月程経った今、すっかり我が家の「姫ちゃん」として家族の頂点に君臨しています
まだしばらくは忙しい日々が続きそうですが、てるPapaさんの協力のおかげで、とても楽しみながら「姫ちゃん」と過ごしています。
近況報告など [お知らせ]
短いですが、お詫びと近況報告です。
前回の記事を2部書いた後、当時の苦痛がフラッシュバックのように甦ってしまい、暫くはブログを開くことも出来なくなってしまいました。春頃には体調も回復してきましたがどうしても続きが書けず、そのままになってしまいました。コメントを下さった方々へのお返事も出来ず申し訳ありませんでした。
<お知らせ>
来年の5月に新しい家族が増えることになりました。
「おめでた」ってやつです…(照)。
そのこともあり、学年末に合わせて、てると入籍することにしました。
来年は益々忙しくなりそうです。
「過去から現在へ」の続きはまだ当分書けそうにありませんが、落ち着いたら再開すると思います。その時にこのブログを覚えていてくれたなら、また読んで下さい。
<27>監禁状態と誓約書(後編) [過去から現在へ]
義姉達は、出金の控えの束について一通り聞き終わると、今度は家を購入する為にと渡してくれたお金について話すように言いました。姑は、あのお金は、こうにあげたのではなく預けていただけだなのだから、全額返してくれと義姉達に言付けていました。
私は、離婚までのお金の流れについて、義姉達に順番に説明していきました。
・自営業が行き詰っていた際の借入や国庫金の返済にあてたこと(姑の了承を得ている)。
・こうが、自家用車と商用車を買い替えたこと(商用車については姑の了承を得ている)。
・引越しの際の敷金・改装・一部電化製品の買い替えなど(これも姑の了承を得ている)。
・こうの機嫌を取る為に、遊興費(かなりの額でした)や仕事の道具などに使ったこと。
・子ども達の服を買ったりしたこと。
・家の資金だけでは足りなくなって、仕方なく私の実家からも援助してもらったこと。
・こうの無理な人事の為に、私の名義で借入していること。
その他の細かなことまで説明しました。
私の話を聞き終わった義姉は、「ばあちゃんが許したことに使った分と、あんたの親から出してもらった分は引いてあげるけど、残りの分と控えのある分はあんたに返してもらうから」と言いました。
「それと、あんたの名義で借入したものは、こっちは一円も支払うつもりはないから」とも言いました。
私の名義で借入した分については、給与を捻出する為とはいえ、バカなことをしたと思っていましたし、その分は自分で支払っていくつもりでした。
ですが、どうして私が、こうの身勝手の為にお金に困り、こう自身が親に泣きついて出してもらったものや、子ども達の出産祝いなどまで返済をせまられないといけないのでしょう。
家の資金についても、「ほとんどが、こうの浪費のせいで無くなったのに、どうして私が返済しないといけないのか」と義姉に問うと、「嫁のくせに、こうをコントロールすることも出来ずに、言われるがままにお金を使ったあんたに責任がある」と言い返されました。
確かに、私がこうにお金を出さなければ家の資金が減ることはなかったでしょう。
ですが、こうの欲求が満たされなかった際には、不機嫌な顔で家出をしたり、私に八つ当たりしたりを繰り返されるだけでなく、不満のはけ口が子ども達にまで及ぶのが嫌だったのです。
私に責任があると言う前に、こうをそのような大人に育ててしまった自分達の責任について、ほんの少しでも考えて欲しかったのですが・・・。
義姉達は、こうの浪費について、痛いところをつかれたのが気に入らなかったらしく、私だけでなく、私の両親までもを侮辱する言葉を投げつけてきました。
「あんたは、こうが無駄遣いしたって言って、こうのことばっかり責めるけど、本当は、あんたが隠し口座でも作って貯め込んでいるんじゃないのか。」
「離婚が決まったら、そのお金を使おうと思っていたんじゃないのか。」
「あんたの実家を新築した時期が、ちょうど、うちの土地が売れた時期と同じ頃だから、実家を建てる時にうちのお金を使ったんじゃないのか。」
などなど・・・あまりにも稚拙で酷い想像の数々に、腹が立つというよりも失笑してしまいそうでした。
(翌日、母に話すと「うちは、そんなはした金を貰うほど困ってないわ!バカにするにも程がある!」「こうの家からなんか、貰ってくれって頼まれても絶対に貰わんわ!」と憤怒していました。)
好きなだけ言いがかりをつけると、義姉は電卓を使って計算を始めました。
私に、散々説明させたにも関わらず、結局は自分の思うように勝手に返済額を決めてしまいました。
義姉が計算して出した金額は一千万でした。
勿論、出産祝いなどから、開業資金・こうの浪費分まで、全部含まれていました。
しかも、「ばあちゃん達はもう年を取っているから、早く完済してもらわないと困る」と言い、「月に50万ずつ、じいちゃん(舅)の口座に振り込んでもらおうかねぇ」と自分達だけで納得して話を進め、私にその旨を『誓約書』に書くようにとせまってきました。
私は、全てにおいて納得出来ませんでしたので、そんな『誓約書』は書けないと断りました。
「私には、そんなお金を払う義務もないし、3人の子どもを抱えて暮らしていかないといけないのに、月に50万も払えると思う方がおかしいのじゃないのか」と反論すると、義姉は全く悪びれることなく「あんたが払えないんなら、親に払ってもらえばいいだろ」と言うのです。
もともと常識など通用しない人達でしたが、全員、頭がおかしいんじゃないかと本気で思いました。
私が何よりも許せなかったのは、当事者の一人であるこうが自分だけさっさと実家へと逃げ帰り、この悲惨な状況下にいないことでした。
姑が返済を求めてきたお金の大部分は、こうに関連するものであり、私が何度も「生活が成り立たないから、少しは我慢したり勝手なことをするのをやめて欲しい」と説得し続けたにも関わらず、自分の欲求のままに暮らしたこうに対して、何の責任も問わないばかりか、こうを同席させることなく私だけを責めていることを、義姉達や姑達が少しもおかしな事だと思っていないことが、不思議であると同時に、吐き気がするくらいの嫌悪感を覚えました。あくまでも、義姉達や姑達から見たこうは、私に騙され続けた被害者だったようです。
暫くの間、「そんな納得のいかない『誓約書』は書かない」という私と、「書くまで、私達はここから帰らないし、あんたを外に出さない」という義姉達との押し問答が続きました。
そうこうしている間に、夜が明けてしまい、ずっと私に寄り添っていたひーちゃんは、ぐったりと疲れ顔色も悪くなってしまっていました。
いい加減、義姉達に帰ってもらわないと親子で倒れそうでしたので、仕方なく、義姉達が求める『誓約書』を書くことにしました。
監禁状態で書かされたこと、借用書もなく書式も正式でないことなどを主張すれば、後で無効に出来るから・・・と、そう自分に言い聞かせながら、込み上げてくる悔しさを抑えて、義姉達が満足する内容を適当に書きました。
私が、義姉達の言い分通りに『誓約書』を書いたことで、義姉達は優越感に浸っているようでした。
「ほら、やっぱり自分達の方が正しいだろう」と言わんばかりの顔で笑っていました。
『誓約書』を手にすると、今度は財産分与に話が移りました。
「家財道具は全部、ももさんにあげるから(ここで初めて「さん」付けで呼ばれました)、出来るだけ早く、ここから運び出してよ。」
「それから、生命保険の受取人は変更させてもらうし、車は2台ともうちの方に貰うから。」
お金になるものは自分達の物で、移動させるのにお金のかかる物は、私達にくれると言うのです。
財産分与についても、私とこうの間で話し合うべきことであるのにと思いましたが、家財道具があれば子ども達と暮らしていくのには困らないし、もう反論することもバカバカしくてやめました。
反論しても、義姉達は独自の持論を繰り出し、私の意見など聞かなかったでしょうから。
(後日分かったのですが、私名義の自動車保険まで、無断でこうの名義に書き換えられていました。これこそ私の印鑑や署名を偽造した犯罪だと思うのですが、保険代理店の人を問い詰めると、こう一家がお得意さんだったので言われるがままにするしかなかったそうです。)
義姉達は、私がただの紙切れになると分かっていて『誓約書』を書いたことに気付かず、全てが自分達の計画通りに運んだと思い込んでくれたらしく、満足そうにやっと私達を解放してくれました。
義姉達が押し入ってきてから、実に10時間以上が過ぎていました。
私もひーちゃんも、水分の補給どころか、お手洗いにすら行かせてもらっていないことに、義姉達が帰ってから気付きました。
2人とも心身ともに疲れ果て、寄り添うようにして仮眠しました。
後になって、義姉達によって監禁状態に置かれていた時に、警察に通報していれば助けてもらえたことを知りましたが、あの状態で警察に電話をかけることなど、到底、無理だったことでしょう。
<26>監禁状態と誓約書(前編) [過去から現在へ]
義姉達は、母が2人の子どもを連れて帰ってくれる際に、私が玄関まで見送ることすら、許してはくれませんでした。
下の義姉が、自分の夫に「玄関を見張って、絶対にももを逃がすなよ!」と命令口調で言い、義兄は義姉に言われるまま、玄関に立っていました。
母達が帰った後も、暫くの間、義姉達はキーキーと理解の出来ない言葉をわめき続けていました。
会話を録音し、部屋の様子を写真に撮ったりもしていました。
そんなことして何になるんだろう・・・と思いましたが、それに対して、私が何か言おうものなら、何倍ものヒステリーとなって返ってくるであろうと思い、最低限の発言しかせずに眺めていました。
義姉達の言い分では、離婚して荷物をまとめに帰ってきた私達は、「住居不法侵入」なのだそうです。警察に突き出すとまで言われました。
例え離婚して籍を抜こうとも、家賃さえ払い続ければ、私達はそこに住み続ける権利があります。
そういうことを一切知らず、人を犯罪者のように言い、夜中にずかずかと押し入ってきた自分達は何様なのでしょう?
しかも、子ども達の学用品や、自分達の身の回りの物を持ち帰ることに関しても、無断で持ち出そうとして「泥棒と同じだ」とまで言われました。
こうの家族の間では、「ももは、こうを脅して勝手に離婚した上に、金品を持ち去る犯罪者だ」ということで、意見が一致しているようでした。
怒りをぶつけ続けて疲れたのか、言いたいことを言って少しすっきりしたのか、母達が帰ってから1時間くらいして、やっと義姉達が少し静かになりました。
私は一番奥の部屋に座るように言われ、ひーちゃんは私の隣にぴったりとくっついて座りました。
下の義兄は玄関への廊下を塞ぐ様に見張りに立ち、上の義兄はリビングから見張っていました。
自分達よりも10歳以上年下の私1人を相手に、いい年をした大人が4人で何を考えているんだろうと呆れてしまいました。
「じゃあ、今日来た用事のことを話そうか」と、やっとここからが本題のようでした。
まず、上の義姉が、バッグの中から紙の束を取り出しました。
「本当は、ばあちゃん(姑)達も来たかったけど、それは大変だから、私が代わりに預かってきた。」
(初めは、私1人を、義姉達と姑達の6人で囲い込み、責め立てる予定だったようです。)
「あんたは、よくもこんなに、ばあちゃん達のお金を使い込んでくれたねぇ。」
「全部、きっちり返してもらうよ。」
そう言われても、私には何も思い当たることはなく、義姉の言うことを理解出来ずにいました。
義姉は、そんな私にかまうことなく、自分の言いたいことを続けました。
「今日は、この分(紙の束をちらつかせながら)とかのお金を返済するっていう『誓約書』を書いてもらわないと、私達は帰れないんだから、さっさと済ませよう。」
「ばあちゃん達にも、『誓約書』を持って帰るって約束したから、あんたが書くまで帰らんよ。」
益々、何のことを言っているのか分かりませんでした。
「???」でいっぱいになっている私に、義姉は、「何に使ったか説明しろ」と、その紙の束に書かれてある年月日や金額などを、順番に読み上げていきました。
そこでやっと、何のお金かが私にも分かりました。
姑は、私とこうが結婚してから十数年間の、様々な振込み控えやメモをずっと束ねていたのです。
義姉が読み上げたものは、こうが転職を繰り返したり、病気で働けなかったり、自営業を始める際などに援助してくれたものの控えでした。
それを私に返済しろということだけでも、かなり驚きましたが、義姉の読み上げは、まだ続きました。
続いて読み上げられたものも、年月日や金額などから分かったのですが、子ども達が生まれた時に貰った出産祝いや、入学祝い、その他にも子ども達に使ったお金(誕生日プレゼントやお小遣いなど)までもが含まれていました。
子ども達に関するものの控えまで残してあった姑の行為に、背筋が凍るような思いでした。
姑は、何年経っても、私を自分の息子の嫁として認めたくなかったのかもしれません。
きっと、最後まで、信用することも出来ないままだったのでしょう。
でも、姑にとって、慕ってくる孫達も信用の出来ない存在だったのでしょうか?
こうの実家へ行ったり、姑達が遊びに来たりした際には、私から取り上げるように抱いて離さなかったのに、あれは全て嘘だったのでしょうか?
舅の手前、可愛がっている振りをしていたとでも言うのでしょうか?
ニコニコとした笑顔を見せていた裏で、全ての出金の控えを束ねていっていたと思うと、やりきれない思いでいっぱいになりました。
私のことを好くは思っていなくても、孫達だけは可愛がってくれていると思っていたのに・・・。
私が一方的に離婚を申し出、義姉達や姑達の了承を得ないまま離婚届を出し、こうの家族の籍から抜けた時点で、私だけでなく子ども達までもが他人という認識しか出来なくなったのでしょう。
こうの家族は、誰もがかなり感情的になっており、冷静な判断が出来る者や、こういった行為を制止出来る者は、誰一人としていなかったのでしょう。
<25>纏わりつく義姉達の執念 [過去から現在へ]
年末に書類上の離婚が成立しましたので、私と子ども達は、お正月を実家で過ごすことにしました。結婚前から13年の間に上の2人の出産時を除けば、たった1度しか、私と子ども達だけで実家へ泊まったことはありませんでしたので、こうに了解を得る必要もなく、子ども達を実家へと連れて行ってあげられることが不思議であるとともに、どうして、こんなことすら自由に出来なかったんだろうと改めて思いました。
両親は離婚直後であった私を、そっとしておいてくれましたので、何にも束縛も干渉もされることのない、ゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。子ども達も祖父母と楽しいお正月を過ごすことが出来て、とても幸せそうでした。その時には、無事に離婚も成立したし、親権で揉めることもなかったので、私と子ども達の前途は、きっと明るいものだと信じて疑いませんでした。私は、やっと子ども達と新しい生活を始められるという安心感からか、すっかり油断してしまっていました。結婚時のことを考えれば、あのまま義姉達が黙って引き下がる訳などないのに・・・。
三が日が明け、1月4日の夜、引越しの荷物整理の為に、母と子ども達と共に、結婚生活を送っていたマンションへと戻ることにしました。私も母も、こうは実家へ帰っているものと思っていましたので、マンションへ着いた時に、部屋にこうがいたので少し驚きましたし、違和感を覚えました。いつもなら、休暇に一人で過ごせるような人ではなかったからです。
私達が帰ってきたことを確認すると、こうは誰かに電話を掛け始めました。初めはよく分かりませんでしたが、電話の様子から、義姉に掛けていることが分かりました。こうは電話を切ると、どこかへ行こうとするので、私も車を駐車場から別の場所へと移動させに行きました。その間、ほんの15分程度だったのですが、マンションへと帰ってきてみると、玄関の外にまで、怒声と泣き声が響いており、玄関を開けると、そこは修羅場へと変わっていました。
こうの実家や義姉達の自宅から、当時のマンションまでは、急いでも1時間以上かかりました。ところが、15分程の間に、義姉達夫婦が二組(四人)で乗り込んで来ていました。子ども達は、三人とも母にしがみついて泣き叫んでおり、一体何が起こったのか、瞬時に理解することは出来ませんでした。とにかく、大変な状況になっているという事実だけが、頭の中でグルグルと回っていました。
後に母から聞いたのですが、義姉達は、こうと私が家を出た後、少ししてからやってきたそうです。夜間だというのに、チャイムを鳴らし続け、ドンドン・・・・・・と玄関のドアを叩き続け、マンションの廊下で「早く開けろー!!」と大声を出していたそうです。母は私が帰ってくるまで待つべきか迷ったそうですが、余りにも近所迷惑になるので、仕方なくドアを開けると、ズカズカと部屋へと入り込み、部屋の中でも「もも(呼び捨てでした)を出せ!」とか「お前らは不法侵入だ!」とか怒鳴り散らしていたそうです。義姉達は、子ども達にも容赦なく怒鳴りつけたそうです。子ども達は、義姉達の常軌を逸した姿や言葉の暴力に怯え、泣き叫びながら母にしがみついていたのです。
私が玄関を開けた時に、こちらを見た義姉達の顔は、まさに鬼の形相でした。とてもじゃありませんが、まともな神経や常識を持ち合わせている人間の顔ではありませんでした。大人の私でも、ゾクゾクと背筋が凍るような思いでしたので、子ども達が怯えていたのも無理はありませんでした。母から簡単な説明を受け、状況が分かるにつれ、こうが、私だけでなく、子ども達も義姉達から酷い仕打ちを受けると分かっていながら置き去りにして、自分だけがねずみのごとく素早く、実家へと逃げ帰ったことに気付きました。
義姉達は、お正月の間に、みんなで策略を立てていたようです。お正月が明けたら、私達が荷物整理に帰ってくるだろうから、その機会を狙う為の連絡係りとして、こうを家に置いていたのです。そして、義姉達は、私達がいつ帰ってきてもいいように、自分達もどこか近くでずっと待機していたようです。義姉達の執念は恐ろしく深く、憎しみは限りなく大きく、人間がここまで鬼になれるものかと思わされました。
それにも増して、こうの情けなさ、自分だけが良ければ子ども達すら犠牲になってもいい、という態度に憎しみが湧きました。「子ども達と離れたくない」と離婚を拒否し続けていたのに、何故、子ども達だけでも守ってやることが出来なかったのでしょう。
大人の揉め事に、まだ小学生の子ども達を巻き込む必要があるのでしょうか?
それが、子ども達の心の傷となることが分からないのでしょうか?
こうにしても、義姉達にしても、これが40歳を過ぎた大人のする事なのでしょうか?
こうのした事は、自分へ火の粉が降りかからないように、私と子ども達を、義姉達に売り渡したも同然の行為でした。
子ども達は、私が抱きしめても怯えて震え、泣き続けていました。
「怖いよー!ママー、怖いよー!」と泣き叫んでいた子ども達の声は、今でも耳に残っています。
どんなに子ども達が幸せになってくれても、あの声だけは、忘れることは出来ないでしょう。
そういう状況下に子ども達を置くことは、本来、あってはならないことであると共に、母も心臓に病気を抱えていましたので、「用があるのは私だけだろうから、私さえ残れば、子ども達や母には関係ないから帰らせる」と言い、母に子ども達を連れて実家へと帰ってもらうことにしました。しかし、深夜で終電もなく、1時間以上かかる実家まで、タクシーで帰ってもらうしかありませんでした。
ところが、「さあ、帰ろう」という時になって、ひーちゃんが「ひーは、ママと残る」と言い出しました。私も母も、「どんな辛い思いをするか分からないし、ママはもう大人なんだから一人で大丈夫だよ」と何度も説得しましたが、頑として、私の側を離れようとはしませんでした。こんな小さな子どもでも、「ママを一人にするのは可哀相だから・・・」と私を守ろうとしてくれているのに・・・と思うと、余計にこうの行為が許せなくなりました。
どうしても、ひーちゃんが離れないので、仕方なく、母にはともちゃんとよしくんの二人を連れて帰ってもらうことにしました。
この後、起こったことに比べれば、ここまでは、序章に過ぎませんでした。
卒業・・・新たなる高みへ [たからもの]
疲れなどにより、コメントへのお返事などだけがやっとで、かなりバテています。
皆さんのブログ廻りも、「過去から現在へ」の記事再開も、もう暫くお待ち下さい。
今回も「近況ブログ」です。宜しかったら、読んで下さい。
今日は、長女の卒業式でした。
別れを惜しむかの様に小雨降る中、娘は無事に中学校を卒業しました。
色んな思いが込み上げてきて・・・嬉しさに涙が零れました。
卒業式も、その後の「最後の学活」も、感動的でした。
帰宅して、娘が卒業文集に寄せた文章を初めて目にしました。
そこには・・・
「お母さんへ」というタイトルが付いており、
「私を生んでくれてありがとう。」
「お母さんは、不登校になっていた間、私の相談にのってくれたり、
色々なことをしてくれたりしてありがとう。」
「いつも励ましてくれてありがとう。」
といった言葉が並んでいました。
そして・・・
担任の先生から、娘へのコメントには、
「何度も涙を浮かべながら、自分の限界を超え続けてきた○○(ひーちゃん)」
と書いて下さっていました。
私は、それらを読んで、卒業式以上に涙が溢れました。
この子は、何時の間にこんなに成長したのでしょう。
辛い思いもさせたのに、何て素直に逞しく育ってくれたのでしょう。
私の方が、娘に感謝です。
「私の子どもに生まれてきてくれてありがとう。」
「成長するごとに、新たな感動をありがとう。」
そして、何度も家に足を運び、共に娘を支えてくれ、
卒業まで導いてくれた先生方に感謝致します。
危うし!確定申告・・・ [お知らせ]
3月15日が確定申告の期限だというのに・・・
12日の現在、まだ、集計表も決算書も出来ていません!\(-"-)/
実は、帳簿もまだ・・・完璧ではなかったりします・・・あははは(T∇T)
昨日もほぼ徹夜でした。
今日も仮眠だけ取れればいい方でしょう。(-_-) zzz
この切羽詰まった状況にも関わらず、
娘の卒業制作の手伝いまでさせられました。
「手伝った」というより、「私が描いた」と言っても過言ではないでしょう。( ̄^ ̄)V
娘よ・・・母は、忙しくて倒れそうなんだよぉぉ!
もっと、労わっておくれよぉぉ・・・ということで、今日の夕食は任せた!
高校生の時から、実家の決算&申告は私の仕事でしたので、
ギリギリになるとヤバイことは、ずーーっと前から分かってたんです。
しかも、この状況は、今回が初めてじゃないんです。(離婚前もやばかったです。)
でも・・・気力が出なくて、延ばし延ばしにしているうちに、
もう、笑うしかない状況に陥ってしまいましたー(≧∇≦)/
という状況下にありますので、
自分のblogに寄せて頂いたコメントのお返事は書けても、
皆さんのblog廻りをさせて頂くだけの余裕がありません。o( _ _ )o
確定申告が終わって、皆さんのblogに伺えることを楽しみに・・・
また、仕事に励んできます。□。_ヾ(- -*)
3月15日までに、書類が間に合うことを、祈ってやって下さい(゜ーÅ)








